ニーチェとゴッホとダリと私

歴史上の偉大な人物が、もしも今生きていたら。

そんなことを、たまに考える。

 

いくら考えても、そんな事は現実化しないとは分かっていても。

 

 

MoMAに行ってゴッホやピカソ、ダリなどの絵を見ながら考える。

 

僕は、仮にも今の時代、彼らが生きていたとしても、彼らは絵を描いていないと思う。

少なからず、あのような油絵は。

 

ウォーホルだって、アーティストになっても同じようなシルクスクリーンの作品は作ってないだろう。

 

そもそもアーティストになるかも定かではない。

きっと何者かにはなっていただろうけど。

 

 

ニーチェが今生きていたら己の哲学を死ぬほどツイートして、もっと名言を残していたかもしれない。

 

カフカが生きていて小説を書いていたら、生前に日の目を見ただろう。

 

ダリはSNSの使い方が上手そうだし、個性的なヒゲと共に、Instagramにセルフィーなんかアップしてそう。

 

モネも今さら印象派はやらないだろう。

 

 

だけど、彼らはもうこの世にはいない。

歴史上の偉大な人物でさえ、限られた人生というタイムリミットの中で生きていた。

 

 

 

彼らは彼らの時代を生きて、それぞれに彼らの生きた証を残した。

 

 

生殖して子孫を残すことや、幸福を感じること、生き延びることなんか以外に、人間にできるラッキーなことで。

 

 

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何一つ地球上の資源が変わっていない中で、僕らは僕らの時代を生きてる。

時代も違うから、彼らとはずいぶん異なる生活をしている。

 

 

詩を書くように写真を撮り、言葉にもならない文章を書き、終わりのない流れるプールに流している。

そしてそれは、数え切れないゴミデータとともに海に残される。

 

 

もはや誰にも収集のつかないこの海に、少なからず僕たちの生きた証は残るだろう。

だれに伝えるでもなく、人間らしくこの時代を生きた痕跡として。

 

 

自分が生きて、残すもののカタチさえ時代によって変わってくるようだ。

だから僕は、大切なものは全てここに残したい。

 

essayToru I.